とうじ魔とうじによるコラムなど
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僕はよく他人から、「とうじ魔さんって、ホント、物持ちがいいですよね〜」ってな事を言われるわけだ。確かに、70年代に見に行ったフォーク・コンサートのチケットの半券がいまだに捨てずにとってあったり、寺山修司が生前発行した機関紙、公演チラシなどがとってあったりする。もちろん、それらを見に行ってた10代の頃は、それが将来仕事に繋がるだとか、稀少価値が出てお宝になるだのという打算は毛頭なく、単に好きだから捨てるのが惜しかっただけの話である。それが数10年たったらレア・アイテムとなり、雑誌や書籍に掲載するために貸して欲しいと出版社が言ってくるようになった。当時はタダで配っていた、たかがチラシごときを古本屋が売ってくれと言うのである。高校生の一観客だった頃、自分が握りしめていたチケットの半券が、寺山修司の本に使用されるようになるなんて誰が思いますか!?
最近気づいたのですが、僕のこの物持ちのいい性格は、どうやら母親譲りのようなのです。と言っても、別にウチの母がレア・アイテムを所蔵しているわけではありません。ただの主婦の節約感覚に過ぎないのですが、母の場合は。
先日、麦子(娘・5歳)が保育園で紙皿を2枚貼り合せて、そこに自分の好きな絵を描いて、フリスビーのようなオモチャを作るというのを教わってきました。それでお婆ちゃん家に行った際も娘はそれを作りたくなって、僕の母に「お婆ちゃん、紙皿なーい?」と訊いたわけです。すると母は「ちょっと待っててね」と言って、何やら奥の方へ捜しに行き、パーティー用の紙皿をみつけて戻ってきたのです。娘は喜んでそれでフリスピーもどきを作りましたが、「よく、こんなのあったね」と言う僕に、母は「ほら、前に家でホームパーティーした時のが残ってたから。未使用のを捨てるのもなんだし」と言うのです。「えっ、ホームパーティーって?」僕はまさかと思い訊き返しました。実家でホームパーティーなんて長年やっていません。僕の記憶の限りでは、ホームパーティーなんてあの時だけです。するとオフクロは平然と「そう、あの時の残り。お父さんが会社の若い人たちを家に呼んだ時よ」と答えたのです。僕の“まさか”は的中しました。いっときますけど僕の父は、もうとっくに死んでいます。父はサラリーマンでした。現役時代、部下の若い人たちを家に招いてホームパーティーを開いた事がありました。そんな僕のオヤジもやがて定年退職し、80歳で亡くなりました。我が家の唯一のホームパーティーは、僕がまだ子供だった約40年も前の事です。ヘタしたら、あの時の若手社員の皆さんも何人かは、もうすでに逝ちゃってるかもしれません。
こんな事もありました。麦太(長男・現在小学5年生)が生まれたばかりの頃です。僕は実家で、お風呂上りの息子の体にベビーパウダーを塗っていました。すると、丁度ペビーパウダーが切れてしまったのです。「あれ、ペビーパウダー、無くなっちゃった!また買ってこないと」僕がそう言うと、例によってオフクロが何やら奥の方へ。そして「買わなくても、まだ前のが残ってるから…」。“前の”って??麦太は第一子です。ふと見ると、母の手にはレトロなデザインの古ぼけたベビーパウダーの缶が。そう、それは僕が赤ん坊の時につけていた天花粉の残りなのです。親子2代に渡って同じベビーパウダーを使った家なんて、他にあるのだろうか!?
最近気づいたのですが、僕のこの物持ちのいい性格は、どうやら母親譲りのようなのです。と言っても、別にウチの母がレア・アイテムを所蔵しているわけではありません。ただの主婦の節約感覚に過ぎないのですが、母の場合は。
先日、麦子(娘・5歳)が保育園で紙皿を2枚貼り合せて、そこに自分の好きな絵を描いて、フリスビーのようなオモチャを作るというのを教わってきました。それでお婆ちゃん家に行った際も娘はそれを作りたくなって、僕の母に「お婆ちゃん、紙皿なーい?」と訊いたわけです。すると母は「ちょっと待っててね」と言って、何やら奥の方へ捜しに行き、パーティー用の紙皿をみつけて戻ってきたのです。娘は喜んでそれでフリスピーもどきを作りましたが、「よく、こんなのあったね」と言う僕に、母は「ほら、前に家でホームパーティーした時のが残ってたから。未使用のを捨てるのもなんだし」と言うのです。「えっ、ホームパーティーって?」僕はまさかと思い訊き返しました。実家でホームパーティーなんて長年やっていません。僕の記憶の限りでは、ホームパーティーなんてあの時だけです。するとオフクロは平然と「そう、あの時の残り。お父さんが会社の若い人たちを家に呼んだ時よ」と答えたのです。僕の“まさか”は的中しました。いっときますけど僕の父は、もうとっくに死んでいます。父はサラリーマンでした。現役時代、部下の若い人たちを家に招いてホームパーティーを開いた事がありました。そんな僕のオヤジもやがて定年退職し、80歳で亡くなりました。我が家の唯一のホームパーティーは、僕がまだ子供だった約40年も前の事です。ヘタしたら、あの時の若手社員の皆さんも何人かは、もうすでに逝ちゃってるかもしれません。
こんな事もありました。麦太(長男・現在小学5年生)が生まれたばかりの頃です。僕は実家で、お風呂上りの息子の体にベビーパウダーを塗っていました。すると、丁度ペビーパウダーが切れてしまったのです。「あれ、ペビーパウダー、無くなっちゃった!また買ってこないと」僕がそう言うと、例によってオフクロが何やら奥の方へ。そして「買わなくても、まだ前のが残ってるから…」。“前の”って??麦太は第一子です。ふと見ると、母の手にはレトロなデザインの古ぼけたベビーパウダーの缶が。そう、それは僕が赤ん坊の時につけていた天花粉の残りなのです。親子2代に渡って同じベビーパウダーを使った家なんて、他にあるのだろうか!?
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プロフィール
“目で見る音”をコンセプトに、楽器以外の日用品を使い独自のサウンド・パフォーマンスを行う傍ら、コラムの執筆、テレビ・ラジオ出演、講演会、プロデュース他、幅広く活動する特殊音楽家。1987年「たま」の知久寿焼、石川浩司らと「とうじ魔とうじバンド」を結成、ポップ幻想歌謡集『移動式女子高生』を発表。1989年、美術家の松本秋則、舞踏家の村田青朔とのユニット「文殊の知恵熱」を結成。互いのジャンルを超え、さまざまな発想と仕掛けで五感を刺激するパフォーマンスを展開中。
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